日本人は人に本心を伝えるのが下手な国民かもしれません。言葉で思いを正直に伝えればよいものを、なかなか本心を明らかにしようとしない傾向があるようです。
専門家が、今こそ遺言書を書くべきですといくら勧めても、その時ですらほとんどの人は書こうとしませんし、専門家に相談すらしないことのほうが多いのが実情です。
残された家族は、親がどんな思いでいたのか、さまざまな思い出の中にそれを見つけ出すしかありません。
■いろいろな愛情表現
思いもよらず親が貯金をしていてくれていた。それも自分が生まれてから毎月ずっと、数千円を欠かさずに郵便局に預けていてくれていた。親は何の見返りも求めず、毎月の生活費を切り詰め子供のために蓄えてくれていた。
その額がたとえ数万円でも数十万円であったとしても、使い切れなくて残された数千万円のお金より、よほど価値ある貯金だと私は思います。
多額のお金を残されて迷惑する人は少ないでしょう。しかし、必ずしも金額が多いから心から感謝するということにはならないものです。
本来、親から子へ引き継ぐべきものは財産としてのお金ではなく、子や孫への思いや愛情でしょう。なぜそこまでして子供にお金を残そうとしたのか。残高だけでは表現できませんが、毎月の貯金通帳の記録は親の愛情を伝える確かな証拠となります。
千の言葉より、毎月の貯金通帳の入金記録です。親が郵便局にお金を貯めに行く姿が目に浮かぶようです。そうです。この姿は子の出世を願う親のお百度参りのようです。
独り身の子供が不自由しないように、賃貸アパートと、その不動産を引き継ぐための納税資金としての貯金を残し、安定した収入で生活できるよう配慮するお父さん。生き別れた子供のために貯金を残すお父さん。
あるいは、放蕩の挙げ句、借金だけを子供に押し付けて行き倒れるお父さん。
相続というものは、その人の一生を美しくも汚くも見せます。
■美しい相続のお手伝い
同じお金を残してくれるにしても、それを相続する配偶者や子供たちは、普通の生活が維持できるのであれば、血眼になって財産を得ようなどとは思わないものです。
もちろん、会社や事業を引き継がなければならない方にとっては、社員に対する雇用の責任や金融機関からの借入金の連帯保証など問題は山積していて、のんびりしたことを言ってはいられません。しかし、一般家庭の場合ならば、財産を残す人だけが考えればいいことです。
相続をする人たちが、幸せな気持ちになるにはどうすればよいのでしょうか。
お葬式を立派に執り行う?立派な戒名とお墓を残す?そんなものに残された人が幸せを感じるとは思えません。亡くなった人が残した一枚の便箋に書かれた数行の心からの言葉、毎月積み立てられた貯金の通帳。
相続は、財産を残すことではなく、モノやお金にその人の思いを託し、相続する人たちを幸せにするものであると思えてなりません。